尾道固有の暮らしの歴史であり文化である山手地区だが、現在、空洞化と高齢化が進み、空き家が数多く存在している。
その中には建築的価値が高いものの、残念ながら住人を失った家々の傷みは年々加速しています。尾道空き家再生プロジェクトではそれらの空き家を再生し、新たな活用を模索している。
NPO法人空き家再生プロジェクト代表の豊田氏による尾道×ソーシャルビジネスの可能性、尾道に今もある社会課題についてインタビュー。
(聞き手:実行委員長 亀田)
豊田さん、今日はお時間をいただきありがとうございます。
尾道の地域課題に先駆者として立ち向かっている豊田さんに、ビジネスプランコンテストの参加者に向けたメッセージやアドバイスを伺いたいと思います。参加者にとって、これから考えるビジネスプランの一助になればと思いますし、地域に根ざしたビジネスを考える新たな視点を提供できればと考えています。
本日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
豊田さんのプロフィールと経歴
――都会暮らしで気づいた尾道の良さ
まずは、尾道空き家再生プロジェクトを立ち上げたきっかけや、その背後にある思いについて、お話を伺えますでしょうか?
もともと尾道出身で、大学進学で大阪に出たんです。その後、30歳手前で尾道にUターン。高校生の頃には、空き家の問題は特に気にしていませんでした。なんとなく海外へのあこがれはあるものの、普通の高校生でしたよ。
大学・社会人と都会で生活をしてみて、尾道の良さに気がついたんです。帰省したりする度「やっぱり良いまちだな」って。
空き家問題を意識するようになったきっかけは何だったのでしょうか?
尾道に空き家が増加しているという新聞記事を見たんです。「いいなぁ」と思っていた風景がなくなるかもしれない。
それまで尾道水道や神社仏閣など、目に入りやすい尾道の特徴に注目しがちだったのですが、それよりももっと日常的な、人の暮らしに注目するようになりました。
――斜面地の民家、お屋敷、地元の暮らしがあって、その隙間を観光客がそぞろ歩く様子。
文化や風土って、人々の生活が基盤なんですね。けど文化財というわけでなく、そこはリアルな人の生活ですから。保護していかないと無くなってしまう。
――取り返しのつかない、まちの景観
「坂のまち」の風景がなくなるんですか?
傾斜地の家って、取り返しがつかないんですよ。現在の建築基準法だと、接道していないので、その場所に新たに立てることもできないんです。一度解体してしまうと、なくなってしまう。そのことに気がついて恐ろしくなりました。
不動産屋も利益にならないので、さじを投げていました。車が入ることができず工事もできないので、関わりずらいんですよね。
尾道らしい傾斜地の民家は、消滅の危機にあったのですね。そのころ行政はどのような対策をしていたのでしょうか?
尾道市役所さんは、全国でも先駆けて空き家バンクを始めていました。けれどインターネットもまだ普及しておらず、物件情報は紙媒体のExcel表でした。情報が欠けていたり、カバーできていなかったり、「ここに載っている以外にも、もっと良い空き家があるのにもったいないなぁ」と思ったんです。
その頃は尾道にお住みになっていなかったんですよね。具体的にどんな行動を起こされたのですか?
まずはセカンドハウス的に使える家として、購入できる空き家を探したんです。不動産屋を回ったけど、斜面地の空き家はどこも扱っていなかった。地図を頼りに歩いたりもしましたが、すぐには見つかりませんでした。
そうこうしているうちに、母が倒れたんです。大阪で添乗員の仕事をしつつ、尾道に通う2重生活が始まりました。
――海外のまちづくりを参考に
海外への添乗員をしていると、尾道ほどの小さい町でも、古い町並みを活かしながらいきいきと暮らしている様子にたくさん出会うんです。車も電車も通っていない場所なのに、人が集まり、アーティストが逗留したりしていました。この町並みが尾道でもできるのではないかと思ったんです。
その頃の日本のまちづくりといえば、都市基盤を近代的に作り変える大きな開発が基本。古い町並みを残すまちづくりとは正反対のものでした。海外で出会った町を手本に、うまく先人が残してくれたものを大切にしつつ、新しいものを受け入れていく町を作ることができるのではないか。
それが尾道のスタイルのまちづくりとなるはずと確信しました。
――最初の再生、ガウディハウスとブログでの発信
こうして尾道に空き家を探していたところ、1933年に立てられた洋風木造建築(現ガウディハウス)を紹介していただきました。壊すことを検討していたので「そんなもったいない!」と買い取り、改修することにしました。
すごい決断ですね。その改修の様子を発信していったというわけですか。
ちょうどそのころブログが流行り始めた時代だったんです。毎日「尾道の空き家再生しています」と発信していくと、すごい反響があったんです。
100人くらいの人が移住希望者として「空き家を紹介してくれませんか?」と、駆け込み寺的に使うようになりました。
驚いたことに、定年退職やリタイアした人がくるのではなくて、20代の人からの相談があったんです。
ここまで広範に大量に相談があるとなれば、一人でやっていくのではなく、市民団体として活動しようということになりました。
空き家問題について
――それでも空き家の増加は止まらない
尾道市の空き家問題についての現状認識と、活動の結果どのように変わったかお教えいただけますでしょうか?
20歳くらいから空き家を意識しましたから、もう30年近く活動していますね(笑)
ただ、数でいうとやはり増えていますね。昔は300件くらいだったのが、今は尾道市全域で7000件ほどあるようです。
空き家バンクへの登録が160件強。20件は私たちの手で再生しました。
時が経つほどに、お年寄りが住んでいた家が空き家になる。どうしても増えてしまうという状況には変わりありません。
空き家の数というと、どうしても増加しているんですね。
確実に減らしてもいるし、移住希望者の窓口になっていて、月に10組くらいお話はあります。海外の方からの問い合わせもありますね。
――再生した空き家はカッコいい
それでも豊田さんを中心に作り出した、空き家を再生して住むという価値はまち全体に影響を与えていると思います。
観光で来る人の年齢層が若返ったといわれていますね。古くてカッコいいと思ってもらうきっかけになれているといいですね。若い人のお店が増えた。
私たちは空き店舗の紹介はしていないんですが、山手の空き住居を紹介しています。移住希望の方々を呼びよせる発信ができているのであれば嬉しいですね。
――新しい人の流れ
私のようにずっと尾道に住んでいる人間からすると、移住者のコミュニティは新しいスキルや考え方をもった多様な人たちが集まり、楽しそうに見えていました。最近は我々青年会議所にも移住者の入会者もあり、交流が生まれてきていますね。
初期の移住者の方々が、隣近所との付き合いも良く評判がよかったので、地場の人との受け入れがスムーズでした。
移住者同士で互いに仕事を紹介しあったり、ご飯会をしたりと尾道に来た時にまずアクセスするコミュニティがありますね。
青年会議所さんが地元の年配者と移住の若い人のとりもつ流れは素晴らしいと思います。尾道はそのような新しいものを取り入れる時のクッション材として動いて頂ける人が多いのではないでしょうか。
空き家再生プロジェクトの現状と未来
空き家再生プロジェクトの将来の展望や目標についてお聞かせください。
どうなんでしょうね。将来への展望…
大学出て、添乗員の仕事しかしたことがなく、専業主婦としてボランティアとして始めたもので…。ビジネスとして回すことも、お金を借り入れることもわからず、あれよあれよという間にここまでやってきたという印象です。
「空き家をどうにかしたい」という思いにつながることはなんでもして。助成金という助成金は片っ端から受けていきましたね。
アパート運営や空き家バンク管理で収益を得ていましたが、中心スタッフとして動いてくれていた学生がスタッフとして関わるようになるなど、ちゃんと収益事業を手にしたほうが良いということになったんです。
――中国地方のガイドブックに尾道はなかった
そのころ、商店街の長屋の物件を紹介されました。今、「あなごのねどこ」として運営している物件の大家さんからでした。
他にはさじを投げたらしく、どうにか再生できないかということでした。
ちょうどゲストハウスという形態のビジネスがはじまった頃だったんですね。それで「このスタイルなら尾道にも合うんじゃない?」と考えて再生プランを立て始めました。
中国地方のガイドブックは倉敷、次は飛んで宮島。あとは道後温泉。そのような有様だった。
添乗員の経験から歩いてまわれるサイズ感、文化といい、「外国人は絶対に気に入るだろう」という自信があったんです。
「あなごのねどこ」という宿泊施設と飲食店を始めるには、初めての借り入れが必要でした。500万円の融資を受けましたが、NPO法人への信用がなく、個人の信用を担保に借り入れました。借金をしていく中で、「このまま突き進んでいいのかしら?」と不安もありましたが、5年で完済し、その後はスムーズに借り入れができるようになりました。
――路地と坂
そこから「みはらし亭」という施設を始めました。尾道はサイクリングやU2の人気が増え、海外からの観光客も増えてきたため、魅力的な場所になっていました。尾道の面白さは坂や路地にあります。路地には「あなごのねどこ」があり、坂には「みはらし亭」があります。もともとみはらし亭の物件は尾道の空き家バンク物件だったんです。ただ、築年数も長く、300段の石段を登った坂の上にある物件だったので、買い手がつかず「それなら私たちでやろう」と。
ビジネスの展望・ビジョンと専業主婦だった私が聞かれてもこたえられなかったと思います。けれども、問題にぶつかるたび会計の専門家などの助けを借りながら、代表として成長し、組織も続けてこられました。
―― 空き家再生プロジェクトが描く未来
まだ道半ばだと考えています。
そうですね…ひとつの指標としては、いつか移住してきた若者の子ども、移住2世の子たちが都市部へ出ていくはず。それで「やっぱり尾道がいいな」と帰ってきてくれるのであれば、それは私達のやった成果と胸をはって良いのではと思うんです。
風情を保つ商店街、それぞれの生活を営む町並み。この姿を残していく、この流れが繋がっていくことが願いです。大きなインパクトではなく、バトンを継いでいくこと。私もまたいつか命尽きるわけですし。
ソーシャルビジネスの観点
――ソーシャルビジネス(社会課題をビジネスの手法で解決する事業)
空き家再生プロジェクトさんの活動は、社会課題をビジネスの手法を用いて解決する、ソーシャルビジネスの考えに立っているように思われます。起業の段階で地域課題を解決の手法として尾道空き家再生プロジェクトを考えられたのでしょうか?
「地域課題を解決するぞ」からのビジネスだったのか、「ビジネスしたい」からのニーズとして地域課題があったのでしょうか?
ここまでの話でわかるように「ビジネスしたい」ではないですね(笑)
もともとが持ち出しで物件を買って、それからずっと自転車操業だったわけですし。
自分の貯金を使って、旦那に相談なく事後報告で2軒空き家を買っちゃったんです(笑) 計画や勝算があってのことではないですね。
古民家を買って直して、価値があがってるのはついてきて。社長として経営しているという感じではないですね。未だに「まちに必要なことをするために活動をしている」という感覚です。
ソーシャルビジネスとして事業を継続するうえで、不安になるのが経営面でのお金のやりくりのように思われます。大変な点や、解決するための工夫などお教えください。
基本的には空き家再生という強みをいかしてカフェやゲストハウスといった収益事業をまわしていくのが常ですが、近年では豪雨災害やコロナといった突発的な災害への対応が特に大変でした。
ゲストハウスという宿泊施設は一番「密な施設」ですから。交流ができる場所として運営していたので、この業界は大変な打撃をうけました。京都などはゲストハウスが多く、閉業してしまったところも多いと聞いています。
コロナ禍は大変な苦境でしたね。休日なのに人がいない尾道というありえない状況に、不安がつのりました。どのように乗り越えられたのでしょうか?
とにかく借り入れを増やしました。補助金、助成金で出して頂けるものは片っ端から申請して。申請書類を作るために目が悪くなりましたね(笑)
借りている物件も大家さんに直接つながっているので、支払いを待ってもらうなど臨機応変に対応して頂き、なんとか切り抜けられました。
まちに根ざした運営をしていたから、切り抜けることができたというわけですか。
まちに救われたという思いはありますね。
こうしてコロナが一段落して、海外の人から目に見えて観光客が戻ってきたのは、まちの魅力の証明ではないでしょうか。
海外からの問い合わせもよく来ますね。サイクリングや映画から興味を持って頂いたようで。海外のサイトや情報誌から取材はよく受けます。尾道の良さを海外へ発信できていたら嬉しいですね。
尾道というまちの魅力
――常に更新されるまち
添乗員のお仕事をされていた経験から、尾道はどのような観光地といえるでしょうか?
尾道ってリピート率が高いんですよ。宿に荷物を置いて「とりあえず歩いてみよう!」で、行ける場所が多い。他の観光地だと、ポイントが近くになくて、点々と回ってすぐ終わってしまうことが多いんです。
紹介できるところがいっぱいあるので「次の機会にぜひ行ってみてね!」というコンテンツがたくさんあります。自分たちが作るお店や体験だけではなく、それぞれが新たにチャレンジ・発信をしていくので、常に面白いことが更新されています。
商店街もレトロな雰囲気を保ちながらも、新しくオープンするお店が多いですよね。
商店街のテナントへの入りやすさが良いのだと思います。昔気質の地域だと、3世代くらい長く信用がなければ場所を貸さないというようなことがありますが、尾道商店街は来るもの拒まずな寛容さがあります。商売が始めやすいんですね。「こんな移住者がぽんぽんお店を作ることなんて普通出来ないよ」という声を多く聞きます。それって交易で人や物の出入りが頻繁だった、港町である尾道の性質なんじゃないかと思います。まちの人の人懐っこさ、新しいものができたら「どんなところかいね」と顔をだす懐の広さがありますよね。
課題(想い)と事業について
「やってみたいことはあるけど、ビジネスプランの形にまとまるかわからない」
「採算がとれるか予想もつかない」
といった不安もあるなかで、豊田さんはビジネスとして継続されています。それは空き家問題という課題が良かったと思われますか?それとも手段や仲間、情熱が重要な資質だったと振り返ってみて考えられますか?
採算とか考えずに情熱でやってこられたから今があるのだと思います。どうしても事業を続けていくなら、つらいことも耐えられる情熱がないといけないのではと私は思います。
あと続けて来られたのは仲間のおかげですね。それこそいろんな時期が私にもあるので、調子が悪いときもありますし。継続してこられたのは、補いあうことができるのは仲間に恵まれていたんだと思います。
――ナゾの「石の鍋」に手を貸してくれる人々
仲間がいるって本当にありがたいですよね。そんな相手に出会えたのは大変な幸運だと思います。
それがただのラッキーというわけでもないんです。発信をしていたら助けてくれる人たちが集まってくれて。そこは尾道の人の「良いお節介さ」に甘えればよいかな、と思います(笑)
NPOを初めて1年目に尾道の社長が話してくれた『ストーン・スープ』という話があるんです。
ある村で旅人が食事を村人にねだったが、断られた。すると村人は「ストーン・スープを作る」と鍋に石を入れて煮込み始めた。やがて村人たちは「何をしてるのか」と興味を持ち、「野菜をいれると旨い」「塩があると良い」と各々具材を持ちより始め、やがて皆で美味しいスープを囲んだ。
この話をしてくれた社長は「あんたの仕事は鍋に火をくべることよ。そしたら皆が集まってくるじゃろう。あなたはずっと火をたやさんことに集中するんよ。」と言って頂き、空き家再生事業を辞めない、発信し続ける決意のきっかけになりました。
面白い話ですね!みんな気になって関わるうちに、仲間になっていったんですね。
尾道だと様々な分野に「この話題だとこの人!」という人がいます。その人たちの助けをつなげて、フォーメーションを作っていけばすごいことができるし、盛り上げることができるんです。
この人との関わり合いって、「しがらみ」とも捉えられてしまうこともありますが、もっとポジティブなものだと私は思うんです。そういった関係性が苦手で都会に行く人もいるんですが、私にとっては力の源です。ネガティブな面はあまり気になりませんね。
――開くことで助けられる
義理と人情っていうのを大切にされてますよね(笑)
独り占めせずに儲かった分は他の人に分けて、という認識でまわるまちだと思っています。少なくとも一人勝ちをすすめるような雰囲気ではないですね。
尾道なら財布がなくなっても生きていけるな、という自信があるんです。そういうつながりのヒューマンスケール、顔がみえる人たちの間に住んでいけたら良いなって思います。
柔らかい安心感、安全性があると思うんです。都市部のオートロックセキュリティマンションよりは、開かれていることで人のソフト面での繋がりがあって、お互いに距離感を見て行ける生活の方が、私は安心かな。
――自分のプランに不安があったなら
もしも、おのコン参加者の方で「やってみたいことはあるのだけど、事業化できる自信がないので、他のプランに変えようと思います」と言う方がいたら、どのように声をかけられますか?
自分がやりたいことだけははっきりしっかり情熱を持ち続ければ、この街でやる限りには良いのではないでしょうか?その人が何がしたいという表明がないと、周りの私たちが関われない、助けられないので。
スキルがない、やり方がわからないという問題は、周り皆が助けると思います。
「こんなスキル探してる」「こんな知識が欲しい」「こんな配偶者を探してる」笑。どんなところにも現れるお節介が優しく強くあるまちです。
そういう事例、けっこう身近にありますね(笑) 簡単に見捨てない文化があるんでしょうかね。
ほら、遊郭もあったし、娼婦を祀る神社だってあるそうですよ。社会的には周縁のもの、品行方正でないものだとしても、人間として受け入れる――肩書だけで見ない懐深さが、昔からここにあったんじゃないでしょうか。
助けてもらったら何らかの形でお返しをする。初期の頃は手弁当で、プロの大工やデザインの人たちにすごく助けてもらいました。その頃わたしにできることは、せめてもの恩返しにその人へ仕事を紹介したんです。
こうした義理人情に厚い先輩が多くいるまちなので、安心して飛び込んで欲しいですね。
尾道の地域課題
いち尾道市民として、空き家問題以外にどのような地域課題があると思われますか?
そうですね…空き家以外に何か別の問題というよりは、空き家問題に全て集約されているなと感じます。過疎化、仕事不足、核家族化など――尾道も広いので山間部だとイノシシの問題などもありますね。
いずれも住む人がいないと発生してしまう問題なので、課題をプラスに変えることで価値を生み出し、人が集まりうまく回していけると良いですね。獣害もジビエ料理などに変換して発信していけると良いのですが。
瀬戸田(しまなみ海道をわたって3番目の島、生口島にあるまち)はせとうちDMO(観光地域づくり法人。魅力的な観光地として、特定の場所を宣伝する組織)が入って、空き家再生・商店や宿泊施設の開業など積極的に開発がされていますね。
駅周辺のいかにも”尾道”なエリアだけでなく、周辺エリアも瀬戸内の魅力が発信されているのだと思います。
尾道市とひとくくりに言っても、旧市街の尾道周辺、瀬戸内の島、別荘地にもなる向島、農業やるなら山間部御調と様々なエリアがあります。
いろんな顔のある場所が多いので、プランを考える際には得意分野にあったエリアから構想するのも良いかと思います。
場所の多様性は人の多様性にもつながり、今回メンターさんをお願いするにあたって、様々な業種の人材の広さを感じられましたね。
御調(読み:みつぎ。尾道市北部の山間のまち)はどうしたら良いと思いますか?
西日本豪雨災害は手痛い被害となりましたね。観光資源の開発を頑張っている時に災害に見舞われてしまったという印象です。今後も盛り上がっていけると良いですね。アグリツーリズム、キャンプなどブームは追い風にあると思いますし。
御調では空き家を宿泊施設に替えていく動きがあると聞いています。見どころも増えてきている。そういった点がつながってエリアとして新しい動きが出てくると思う地域です。
けれどもプレイヤー不足は否めないですね、御調はまだIターンがすくなく、若い人が少ないですので。
その他、地域課題に関して思うところがあれば教えてください。
尾道には新開地区という地域があります。素晴らしい飲み屋街が広がっているけれど、商店街を抜けた先で駅からは遠いのが難点ですね。尾道の夜のまちとして雰囲気もあり、尾道に興味ある人ならきっとハマると思います。
また、人手不足も課題ですね。タクシーや飲食店など、人手が不足しているために開店することができない場合もあるようです。
尾道の魅力を引き出し、課題を解決するためには、外からの視点が重要です。自分たちのまちの特殊さ、良さに気づくことは難しいかもしれませんが、外からの目線を持つ人の新鮮な視点やアイデアが尾道の可能性を広げることができるのではないでしょうか。
ビジネスプランコンテストへの期待
ONOMICHIビジネスプランコンテストに対する意見や期待を聞かせていただけますか?
ここまで話したように尾道というまちが持つ人々の繋がりや、多様性を受け入れる特性がうまく発揮されて、面白いビジコンになればいいなと思います。
また、街や山、海や島といった場所の多様性があることも尾道の強みです。いろんな資質をもった参加者のプランを受け止める土壌があると思います。
だからこそ、自分が情熱をもって取り組める「これぞ!」というプランをぶつけてきてほしいです。
たぶん、ここで繋がったひとは受賞するしないに関わらず、あとあと尾道で活動するなかで助けとなってくれると思います。
最後に、今日のインタビューに対する感想や、参加者へのメッセージなど、何かお伝えいただきたいことがあればお願いします。
あらためて自分の事業を整理する良いきっかけになりました。
こうやって話していると尾道の良さを再確認できますね。
尾道のまちは包容力や寛容性が高いので、どんどん飛び込んで欲しい。人材が育ち、活躍できる助けになれたら嬉しいですね。
ありがとうございました。